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木頭レポート「おららの村にはこれがある」 of Organic Crossing

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OC Report オーガニック クロッシング リポート

おららの村にはこれがある。

徳島県那賀郡那賀町「旧木頭村」。

木頭プレスタディツアー 064.JPG

徳島県那賀郡那賀町木頭地域(旧木頭村)。

鳴門ICを下りてから地道を走ること2時間半、大阪からだと休憩なしで走っても5時間。
徳島の人でも「木頭には行ったことがない。」という、まさに「山間僻地」に位置し、頭地域には、両側を山に挟まれた川に沿うように小さな集落が点在している。

村内に大きなスーパーなどはなく、一番近いコンビニエンスストアーでも1時間以上はかかってしまう。お嫁に行く年頃の娘さんが「木頭は来とうない、伊谷はイヤイヤ。」といったと言う話まであるほど。

※伊谷は同じく山間僻地にある小さな村。かずら橋や大歩危・小歩危で有名。

その一方でこの小さな村は、日本で初めて村民の力で「ダムを止めた村」として全国的に知られている。1000億円以上の予算のついた公共事業であるダムを止める戦いは30年におよび、村の人たちの生活はボロボロになっていく・・・。

それでも木頭の人たちは最終的にダムを止めた。
そして今、木頭にはあめごが悠々と泳ぎ、
限りなく透明に近い美しい川が流れている。

木頭プレスタディツアー 304.JPG美しい自然の残っている場所は日本各地にいくらでもある。木頭より美しい自然が残っている場所もたくさんあると思う。

だけれど、木頭の自然は「村の人たちが自分たちの手で守った」もの。そしてその意味を実感できるのは、僕らより何世代も先の人たちかもしれない。

その木頭が、いま「最先端の取り組みをする村」として動きはじめている。
数年前から村の人たちの暮らしのなかで培われた文化や智慧を、ソーシャルメディアを使って外部に発信しようとする試みが始まった。それに呼応するように各分野のおもしろい人材が移住したり、協力する形で集まり始め、地元の村民とともにさまざまなことにチャレンジしている。オーガニッククロッシングでも木頭のパンフレットを作ったり、大阪でのイベントをコーディネートしたりする形で協力している。

山間僻地であるからこそ残された暮らしや文化、伝承された技術。

木頭プレスタディツアー 224.JPGシュロで編まれた一本の縄が、30年の月日を経ていまだに現役で使われている。

すべて自然素材で作られた「箕」は、60年間使い込まれ飴色に輝いている。

一本の普通の幅のノコギリは使い続けることで細くなり、曲線が切れるようになった。

楮の繊維で織られる布「太布」の技術は、いまでは木頭にしか残されていない。

このようなことは村のじいやばあにとっては昔から続けてきた「当たり前」のこと。
でも街の人からすればそのひとつひとつが新鮮な驚きをもって受け入れられている。
村の暮らし、じいとばあの智慧が「新しい未来のカタチ」として輝きを放ちはじめた。
そして今、そこからなにを感じ、なにを学ぶのか。

オーガニッククロッシングでは「スタディプログラム」という形で定期的に木頭を訪れている。そこで経験したこと、感じたことを短くまとめ、シリーズでご紹介していきます。

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おららの村にはこれがある。

奥木頭の蒼。

木頭プレスタディツアー 060.JPG

奥木頭を流れる「那賀川」の美しさには、目を見張るものがある。
岸から広がる木々の葉と、空をうつしているからなのか、
少し蒼みを帯びたガラスのように透き通った川の流れ。
遊ぶように泳ぐ魚が面白いように見える。

木頭をはじめて訪れたとき、
美しい自然は自然にあるようでそうではないことを
この川の色が教えてくれた。

少し下流に作られた2つのダム。
美しい流れは人の手によって寸断された。

堰き止められた水は淀み、濁り、
大雨が降れば山から流出した木々が漂流する。
川底には堆積した土砂が積もり、
水の量が減れば乾燥し、風の強い日には砂埃が舞う。

美しい川の面影はなくなってしまった。

奥木頭に3つ目のダムの建設計画が持ち上がったとき、
だから村の人の多くがダム建設に反対したんだと
反対運動の先頭に立ったじいが熱く語ってくれた。
美しい木頭の自然を、自然なまま残すために・・。

ダムとの戦いは30年におよび、
村の人たちの暮らしはボロボロになっていった。
それでも彼らはあきらめることなく反対し続け、
最終的に計画を止めた。

そして今、美しい蒼い川が木頭を訪れた人を迎えてくれる。

大阪から移り住んだ人は「この川の色に惹かれて」と話していた。
横浜から移り住んだ人が「木頭Blue」という歌を歌っていた。

そして木頭を訪れた僕はいつも、
森の霧が晴れ、山の間から朝陽が差し込むころに
やっぱりこの川に会いに行く。

村のじいやばあが30年の月日をかけて守った「蒼い川」。
その傍に立ち、その意味を全身で感じることから
木頭での学びははじまるような気がしている。

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おららの村にはこれがある。

使い続けるということ。

IMGP6245.JPG

おららの炭小屋のじいが、一本のノコギリを見せてくれた。
刃の幅が細く、普通のノコギリでは切れない曲線でも綺麗に切れる。

「このノコギリでしかできないことがある」と、じいは得意そうに笑った。

しかし、このノコギリは最初から曲線を切るために細かったわけではない。
普通の幅のノコギリを目立てし、使い続けることですこしづつ細くなり
結果的に曲線が切れるようになったのだという。
それにどれほどの時間が費やされたのか、
すぐには想像できなかった。

次にじいは鹿の角で作ったケースに収められた
小指の先ほどの小刀を見せてくれた。

「この小刀はもともとヤスリだった」と、教えてくれた。

ノコギリとヤスリは、互いに使い使われることで磨り減り
カタチを変え、機能を変え、用途を変え、
その時々で新しい命を吹き込まれながら、
いまなお現役でじいの仕事を支えている。

そしてそうして使い続けられたものは、
そのカタチに「なるべくしてなった」からだろうか、
堂々としていて、とても美しいフォルムをしている。

「使えなくなれば捨てる」という考え方が
すべての基準のように動いている世の中で
じいの細くなったノコギリと小刀に、
道具と人の関係の本質を見たような気がした。

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木頭レポート 第三話

ゆうの玉

木頭プレスタディツアー 188.JPG

5月、硬く鋭い棘に守られるように、可憐な白い花が咲く。
山の木々が淡く色づき、生命の息吹が溢れはじめる時期に
木頭を訪れると出会える「ゆずの花」だ。

標高の高い山間部に位置し、昼夜の寒暖の差が激しく、
特に厳しい気候の奥木頭では、味、香り、酸味ともに
温暖な平地よりも優れた品質の良い柚子が育つと言われている。

なかでも「実生」と呼ばれる種から育った樹齢100年を
超える木(古木という)から収穫するゆずは、
「古木のゆずは味、香りが違う」と話してくれた。

ゆずの花に実がつき収穫できるのは11月初旬。
ゆずの産地である木頭がとても忙しくなる季節だ。
村のあちこちで黄色いコンテナに収穫された、
これまた黄色い柚子の実が所狭しと並ぶ。
人々には活気に溢れ、村は清々しい香りに包まれ、
こちらまで気持ちが高揚するのを感じた。

木頭の人たちは柚子の実ことを、親しみを込めて「ゆうの玉」と呼ぶ。

黄色く色づいた実を手に「ゆう、ゆう」と呼び合う様子が
なんだか子どもに呼びかけるようでとても優しく、温かく感じて、
僕はこの呼び方がいっぺんに気に入ってしまった。
以降、柚子の実は「ゆうの玉」に変わった。

大阪で柚子といえば皮の表面の黄色い層を薄く削って、
鍋や茶碗蒸し、焼き魚など、料理の薬味に使うか
冬至にお風呂に入れるイメージが強かった。

木頭に来て驚いたのは柚子の使い方。

収穫した柚子は村のじいが手作りした木製の搾り機を使い
手間と暇をかけてひとつひとつ丁寧に搾られる。
「機械を使って搾れば早いが、味が悪うなる。」
と、村の人たちはきっぱりと言い切る。
街にいてはわからなかったこだわりだ。

そしてできあがるのが「ゆず酢」。
お酢といえば発酵させているのかと思いきや、
ゆず酢は柚子を搾ったままの100%果汁のことを指す。

ゆず酢が豊富な木頭では、米酢を使うことがほとんどないらしい。
おひたしや酢の物、巻き寿司やちらし寿司など、
さまざまな料理に米酢の変わりにゆず酢が使われる。
爽やかな酸味と、清々しい香りで、疲れたときでも
食欲がわいてくるから不思議だ。

ハチミツと割ってゆずジュースにすれば
子どもたちも夢中になるおいしいドリンクができる。

「生姜をすりおろして加えても、温まるしうまい。わしは毎日飲んどる。」

といわれて出されたホットゆず生姜ドリンクを
一口飲んで「ゲホッゲホッ」と咳き込んだ。生姜が効いてる~!

「どうじゃ、うまいじゃろ?」

と、いたずらっぽく笑うじいにやられた!と思いながら
ますます木頭が好きになる自分がいた。

そんなオーガニッククロッシングの木頭への愛着が
「ゆうのたましぼり」という企画を生んだ。

ゆうの玉を自分で搾ってドリンクにして飲む、
ただそれだけのことだけど、その味や香りを通して
木頭という村の風景や暮らしが伝わればと思っている。
来年また木頭のゆずを持って各地を回れることが
いまから楽しみです。

第二回「使い続けるということ」
第一回「奥木頭の蒼」
はじまり「徳島県那賀郡那賀町「旧木頭村」」

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